イスラム世界と日本の対応(イスラム世界の歴史と現在)についての質疑   

2001年11月28日 

●国際問題に関する調査会


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○田嶋陽子君

 コーランも読んでいないので、いろいろお聞きするのはちょっとはばかられるんですけれども、でもよろしくお願いします。
 最初に後藤先生がお話ししてくださったことで、今、井上先生がお聞きになった女性の権利の問題とも関係あるんですけれども、一つは、十九世紀後半ですか、イスラム世界での人口爆発と移民ということですよね。この人口爆発のことに関してはイスラム世界の人たちはどう考えているのか。この人口爆発を許容するようなものが宗教的な考え方の中にあるのか。あるいは、そこに現代的な考え方を取り入れて、貧困が人口爆発と関係するというふうに考えると、これに対してイスラム世界は何らかの対応をしているのかどうか。どのくらいの危機感があるのかどうかということが一つ。
 それから、今、女性の権利の問題なんですが、私の知識ではイスラム圏は女性器切除が、約一億人の人たちが、これは国連で禁じられましたけれども今もって行われているというようなことを、いろいろなもので聞いたり読んだり、あるいはそういう、なくそうという運動にも加担しておりますが、その辺は先生はどんなふうに理解といいますか、情報を得ていらっしゃるのか。あるいは、イスラム世界でそういうことに対して国のレベルでどういうことをしようとしているのか。
 それから、もう一つ後藤先生にお聞きしたいのは、国家が没落していきますというお話をしてくださいまして、そのときに、十八世紀、国家解体するというお話を伺ったわけですけれども、そのとき西欧社会に、本当に常識がなくて申しわけないんですけれども、私として今のお話聞いて疑問に思ったことなんですけれども、西欧世界に対抗し切れなかったその原因、メンタリティーというものが宗教の中のどういうものとかかわっているのか。さっき、国家よりも神の方が上だというようなお話をなさっていらっしゃいましたけれども、そういうこととも関係あるのかどうか、そのことでお伺いしたいと思います。
 それから、小杉先生はさっき一体感ということで五行、五つのことをおっしゃいましたね、信仰告白とか礼拝とか喜捨とか。これはウンマ意識を醸成する装置としての儀礼ということで、これが二十世紀イスラムの人たちを一つにするのに役立ったということですが、別にキリスト教でもこれに相当するものはあるわけですね。神に対する礼拝のときに胸に手をやってこうやれば、ああ、カソリックだなとか、それから、ああ、あの宗派は何なんだなとか、いろいろわかりますね。キリスト教はやっぱり聖書を、一つみんな同じものを読んでいるということで、いざとなるとキリスト教の世界は一つにまとまるわけですから、これは別に一神教であれば、このウンマの思想はアラブの世界に、イスラムの世界に限ったことだけではないと思うんですね。
 ただ、恐らくここでもって民族意識が芽生えてきたときに、こういうものがあることで一体意識をつくりやすかったというふうに考えればわかりますが。それでも、例えば、いろんなことはなかなか緩やかであって決まっていかないわけですよね、これだけの一体感がありながら。するとそれはその宗教とどんなふうにかかわるのか。
 それともう一つ、そこで次の質問になってしまうんですけれども、一体イスラムの世界では西欧人が重んじている個人主義とか民主主義というものに対してどういう考え方をしているのか。さっき、例えば国際法を守れと言っているのはむしろイスラムの世界の人たちであると、西欧人は勝手だと、そういう発想のもとにあるのはこの民主主義だとか個人主義だとか、そういう物の考え方なのか。でも、一方でさっきのお話ですと、イスラム諸国会議などではコンセンサスがないといろんなものが決まらないというと、ちょっと私は聞き及んだところによると日本の自民党さんみたいなところもあるわけでして、するとそれはまたどういうふうに絡まっているのか、ちょっといろいろ理解しにくいところがありますので、一気にいろんなことを申し上げましたが、質問としてよろしくお願いいたします。


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○参考人(後藤明君)

 最初の人口の問題ですけれども、一種の産児制限とかあるいはそういう問題にも当然つながっている問題ですが、つい最近、二十年ほど前まで、世界の人口がどんどんどんどんふえていく、爆発的にふえている、そういう現象の主な原因は貧困にあるというふうに国連の人口問題の専門家なども考えておりました。貧困が、要するに経済的な開発が進み、都市化が進み、また人々の教育水準が上がれば、おのずと人口増加率は減るものだというのが国連の人口問題の専門家の考え方であったわけです。
 現実にはそういう方向に大きくは動いているんですけれども、十年ほど前までは、どういうわけかイスラム世界だけは、教育水準が上がっても都市化が進んでも貧困がある程度改善されても一向に人口の増加率は減らないと、これは何だという、そういう話になったんですね。最近は、やはりここ十年の間では急速に人口増加率は減っております。
 その原因は別にしまして、では、そのイスラム諸国の中で要するにバースコントロール、そういう産児制限ということがどういうふうに問題になっているかといいますと、何年前でしたか、カイロで世界人口会議が開かれまして、あのときにイスラム世界の国レベルも、それからイスラム世界のウラマーと呼ばれているいわゆるイスラム法の専門家たち、学識者たち、もう意見が真っ二つに分かれました。つまり、産児制限をすることはイスラム法から見て合法であるという考え方と、いや、それは違法であるという考えと真っ二つに分かれて、ついに意見の統一はできなかったというのが現状であります。ちなみに、もちろんキリスト教のローマ教会、カトリックは産児制限に絶対反対であります。
 つまり、イスラム世界の中で子供というのは神からの授かり物であると。それを人間の浅知恵でコントロールする、制限するとは何事かという議論が一方で強くある。もう一方では、現実に政治なり社会に責任を持っている立場からいけば、人口がただひたすらふえていくことはもう地球全体、人類全体の破滅につながるという現実的な認識も当然のことながらあると。
 したがって、イスラム世界では、それは現在、意見が真っ二つに割れているというのが現状だと思います。しかし、急速な人口増加率はやはりある程度下がっているということは言えます。
 それから第二点の、女性の性器のいわゆる削除の問題ですけれども、割礼と言いますが、イスラム法では割礼は勧められております。しかし、女性についての割礼は厳密には根拠はありません。したがって、法学者による意見がばらばらであります。男は割礼することは、これはほとんどのイスラム世界、ただインドネシアなんかは少し例外的になりますけれども、ほとんどのイスラム世界で大体行われております。それから、女性の割礼は必ずしも一般的ではありません。非常に少ないです。ただし、地域によっては依然として女性の割礼が幅広く行われている地域もあると。
 したがって、これも先ほどの御質問とも同じなんですが、女性の問題、男女の問題とも同じなんですが、イスラムの理念の問題と地域の歴史的な伝統の問題と両方別でして、やはり地域によっては今でも女性の割礼というものが励行される場合があるということであります。ただ、これはイスラム全体の問題ではないということになります。
 それから第三番目の、十八世紀に幾つかのイスラム世界の巨大な国家がいわば解体、没落の憂き目に遭ったと、その中で新しいイスラム運動が起きてきたというお話をいたしましたが、もちろんイスラム世界、七世紀に成立して以来多くの巨大な帝国ができては壊れていくという、そういう歴史のサイクルがありました。それはもう無数の王朝ができて無数の王朝が破壊されていったと。その一環として十八世紀にもあったという意味でして、イスラム世界全体が十八世紀にだめになったということではありません。しかし、十八世紀にいわば象徴的な大帝国が解体ないしは中央の力が急速に弱まるという、そういう並行的にイスラム世界全体で起きたこともまた事実であります。
 それに対する当時の認識の一つが、要するに我々はだめなイスラム教徒である、あるいは社会全体がだめなイスラム社会である、だからちゃんとしたイスラム的な生活あるいはイスラム的な社会をつくろうと、そういう動きが現代のイスラム運動につながる運動をつくっていったんですね。それが今日まで、それほど巨大な政治体制をつくるには至っていませんけれども、要するにその政治的な混乱の克服としてきちんとしたイスラムを求めるという、そういう運動があったということになります。
 ただし、それがなかなか、十八世紀以降、西欧が急速に成長していきまして世界全体を覆ってしまうと。例外として日本や、あと若干が西欧と同じように成長したということなんですけれども、それはイスラム世界の問題というよりは、むしろなぜ西ヨーロッパがあれだけ発展できたのか、あるいはなぜ日本がそれに追随できたのかという問題に僕はなるんであって、イスラムの問題ではないんだろうという気がしております。私の考えでは、やはり半ば武力と半ば政治力をもって多くの植民地をつくったことがヨーロッパの成功であり、日本の成功であったというふうに考えています。
 したがって、後の小杉先生の質問にも関連いたしますけれども、例えば民主主義、イギリスの十九世紀は議会制民主主義が非常に発達してよい政治が行われていたといいますけれども、十九世紀のイギリスはインドを支配し、香港を支配し、エジプトを支配し、イギリス帝国全体から見れば決して民主主義ではない。大正時代のデモクラシー、日本の一つのデモクラシーの頂点ではありますけれども、同時期、朝鮮半島を支配し、台湾を支配したのもまた現実なんですね。
 そういう現実が要するにヨーロッパの発展をもたらしたというふうに理解しておりまして、その犠牲になったのが多くのイスラム世界であったというふうに理解しております。


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○田嶋陽子君

 質問はしてもいいんですか、折り返し。だめですか。


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○会長(関谷勝嗣君)

 後藤先生にですか。


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○田嶋陽子君

 今の疑問に。


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○会長(関谷勝嗣君)

 では、どうぞ。


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○田嶋陽子君

 済みません。
 それですと、さっき、宗教は、理念としての女性のある姿と現実と違うと言いましたね。私の理解の仕方では、現実というのはその差別されている状況なわけですけれども。
 それと、今おっしゃったように、西欧では民主主義とか個人主義といいながら植民地をつくったというのと同じように、イスラムの世界でも、コーランの世界に生きようとしながらやっぱり女性は現実と宗教の理念と違う生き方をさせていたということで、そういう反省はイスラム世界にあるんですか。女性に対してはそういうダブルスタンダードで生きてきたという、そういう反省はあるんでしょうか。


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○参考人(後藤明君)

 イスラム世界全体にあるかと問われれば、何とも言えないんですね。
 ただ、イスラム世界で一番、出版物の多くは女性問題であります。そういう意味では非常に議論が活発ではあるんですけれども、先ほど申し上げましたように、理念では別に女性も一人前の人間として扱っていると。ただし、現実にはさまざまな社会があって、さまざまなところであつれきはあって、抑圧もあったと。したがって、理念の問題を語る限り抑圧はなかったということになるんですね。
 そして、現実を語るときには、それは例えばエジプトのウーマンリブの理論家なんかの著作によれば、要するにヨーロッパがエジプトの男も女も抑圧した、その抑圧を受けてエジプトの男は我々女をもっと抑圧したと、そういう告発をする文章などは幾らでもありますけれども、むしろそれはイスラムとは離れたところで議論されているというのもまた一つの現実だと思っています。


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○田嶋陽子君

 残念です。


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○参考人(小杉泰君)

 ウンマの一体感というものがキリスト教でもあるんではないかということですけれども、確かにそうだと思います。
 それで、やはり一神教の場合は神が唯一ですので割合そういう統一性みたいなものを図りやすいと。多神教ですと、神の序列とか、あるいはどの神を主神にするかということでもいろんなニュアンスの違いが出てきますけれども、そういう意味でいえば、きょう後藤先生がおっしゃっていた兄弟宗教という側面から見れば非常に似ているということがあると思うんですが。
 ただ、似ているところがあるとはいえ、例えばキリスト教でも聖書は共通するとおっしゃいましたけれども、キリスト教の場合は聖書は翻訳してよろしいわけですね、精神ですので。ところが、イスラムの場合は、コーランは翻訳できませんので、アラビア語のものがインドネシアへ行ってもアフリカの国へ行っても置いてある、置いてあるというか、読んでいるということになりますので、モスクで行うお祈りもアラビア語で行いますので、それはアラビア語をしゃべらない人たちでも、儀礼の言葉ですからアラビア語でするわけですね。そういう意味において、だから一体性がより強いということは言えるんではないか。
 それからもう一つは、私は、なぜイスラム世界が一体感を持っている、つまりこのような現代の時代になっても持ち続けることができるのかという、その装置が日常に埋め込まれているということで申し上げましたけれども、イスラム諸国会議機構のような、国家を単位としながらやはり宗教で結びつくというようなことが起こるということ、そこまで一体感が強いという。キリスト教諸国連合だとか、あるいは仏教国家連合というものがあるわけではありませんので、その意味でやはり一体感の強さとかあるいは質においてちょっと特異なものがあるんじゃないかというふうに思いますので。
 ただ、それが、それだけの一体感がありながら、なぜ緩やかでなかなか物事が決まらないんだということでございますが、二つ申し上げたいと思うんですけれども、一つは、二十世紀の半ばぐらいですと、そもそもイスラムでみんな固まるかどうかすら意見が一致していなかったわけですので、過去三十年ぐらいを見ると、やはり例えばイスラム諸国会議機構でいろんなことを論じましょうとか、あるいはそれでいろいろ決議をして国際社会にもアピールしましょうとかいうような形で、緩やかながらも次第に凝縮力が出ていると思うんです。ですから、非常にゆっくりですが、もう一回一体感の方へ戻ってきていると。
 二十世紀の頭ぐらいまであった伝統的な一体感は、植民地化されたり国ごとに割れていく中で失われてきたという、それが逆転現象が起こっているということですので、まだ一つのプロセスなんだというふうに思います。
 二番目は、もっと一般論をすると、イスラム世界はコンセンサスを重視するんですが、コンセンサスはもともと容易に決まらないわけですね。それは、教会とか公会議のようなキリスト教でいえば組織が全くございませんので、ですからコンセンサスといっても延々と論争をしていく中でコンセンサスになるということでありますので、したがって、今、後藤先生もいろんな問題について意見が割れているということを御指摘なさいましたけれども、それは、そうやって議論をどんどんどんどん煮詰めていく間にコンセンサスは成立するものはしていくという。
 それで、イスラム世界の場合は柔軟で多様な解釈もたくさんありますが、同時に、コンセンサスが成立するとそれはかなり長持ちしますので、余り一気に決まらないということがございます。それと、近代あるいは現代社会の問題というのはかなり複雑でございますので、イスラム法を持ってきたらぽんと答えが出るというわけにいきませんので、やはり世界そのものが激動しているというのに対応してなかなかコンセンサスが決まらないということはあると思います。
 それで、その一体感に対して、今度、西洋的な個人主義とか民主主義についてどう考えているのかということでございますが、いささか乱暴なまとめ方をさせていただけるならば、個人主義についてはやはり賛成しないと。
 イスラム世界は、人間は一人一人が個人であるという考え方に賛成じゃないんだと思います。人間の考え方として、これはキリスト教でも人間の始めはアダムとイブから生まれたというふうに考えますけれども、イスラム世界も同じ発想ですので、人類というのはそもそも一つの一体のものだという発想から始めていますから、だから西洋的な意味での原始化された個人みたいな認識を前提とする個人主義というのには賛成ではないだろうと思います。
 ただ、それは個人の人権とか自由の話とはまたちょっと別なわけですね。つまり、個人はしかし非常にはっきり認めるという。先ほど後藤先生のお話にもありましたように、人間は皆同じであり平等である、それで契約関係だという考え方ですから、個人は認めるわけですね。しかし、その認めるというベースにイスラムという共通性があるという考え方ですので、個人主義ですと一人一人が考え、あるいはそれが社会契約をして合意したから合意があるんだという考え方ですけれども、イスラムの場合はイスラムという共通性があって、しかし個々人というのは全部きちっとあるんだという考え方ですから、そこのところはやはり西洋的な考え方としてはすり合わないんだろうと思います。
 ただ、民主主義については、まず民主主義という考え方そのものが非常に浸透しつつあると思います。浸透している最大の理由は、イスラム世界も近代化が進んでおりますので、民衆的なというか、あるいは大衆的な社会と言ってもよろしいと思うんですけれども、教育水準も上がっておりますし、昔のように、前近代のように、どこかに君主とか偉い学者がいて国の方針を決めていて普通の人たちは関係ないという時代じゃございませんから、そういう意味でやはり発言を求めていると。
 それからもう一つは、ウンマの一体意識というのがある分だけ全員がウンマに責任がありますから、普通の人たちは何も黙っていて発言しなくていいんだというふうにはならないわけですね。むしろ、ウンマというようなことを言い出すと、普通の人もみんなそれに、共同体の建設とかあるいは国づくりをするのに参加すべきだという議論になりますので、そういう意味で民主主義は浸透していると。
 しかし、理念としての民主主義ということでいえば、西洋的な民主主義とは少しやっぱり違うところもあると思います。それは、イスラム法と合致しなきゃいけないというような議論をいたしますので、ですから、民主的に物事を決めなければいけない、あるいは決めてほしいという、民主的でない国もたくさんあると思うんですが、普通の国民の間の意見は、イスラム世界のコンセンサスとしては、もう今の時代、イスラムの世界をまとめていくためには民主的にやらなきゃいけないという方に物すごい勢いで進んでいると思います。
 民主的であるということと、西洋的な意味での民主主義がどのぐらい浸透しているのかというと、ちょうどその間ぐらいのところでの理解で民主主義が広まっているというふうに言っていいんじゃないかと思います。


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○田嶋陽子君

 一つだけ質問。
 今、一体感、ウンマのところの説明で、例えばバイブルだったら男と女がというようなお話をなさいましたけれども、例えば今西洋ではバイブルに関しては問い直しがされていて、どういうことかというと、女はアダムの、男の肋骨三本から生まれたという、みんなこれに異議を唱えているわけですね、逆でしょうがって。ですから、聖書そのものが男性中心につくられた聖典であるということから、それは今、神様も例えばゴッド・アンド・シーで両方で受けるとか、私たちも、ヒーだけで人はと言うとき受けるのを、ヒー・アンド・シーでやるとか、そういう見直しがされているわけですね。
 だから、その辺ではやっぱり見直しされているところで、やっぱりコーランに関してはそれどころの騒ぎではないというか、ウンマのもとをなしているコーランそのものが、例えば理念は男女平等だって言いながら、もしかしたらコーランの中にも、キリスト教の聖書に書いてある、これは新約聖書なんです、旧約はまた違うんですけれども、新約聖書の中であるようなそういう言い方はあるんですか、女の人は男の人の肋骨三本から生まれたというような、そういう言い方は。




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○参考人(小杉泰君)

 コーランの中にはそういう記述は全くありません。
 それで、神、アッラーという言葉にも、文法上の性はともかくとして性はありませんので、父なる神というような概念もありませんし、ですから、後藤先生がおっしゃったように理念と現実の差はありますけれども、コーランに帰れという主張をする人たちはむしろそこが、男女も平等だし、人間は皆平等だし、それを守る方がむしろ権利が確立されるんだという議論をする人はたくさんおります。
 そういう意味では、聖書の読み直しとかあるいはフェミニスト的な聖書の再解釈とか、言葉の言いかえみたいな運動はイスラム圏には全くないと言ってよろしいと思います。


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○田嶋陽子君

 ありがとうございました。

  

田嶋陽子の

「書アート

こもれる日々

      2017615日(木)~621日(水)

    ギャラリー      コンセプト21

 

         (港区北青山3-15-16              TEL03-3406-0466

 

2016年8月~予定

●ZEN展 

2016年

8月22日(月)

     ~29日(月) 

東京都美術館 

ロビー階第一展示室

東京都台東区上野公園8-36

TEL03-3823-6921

開館時間 9:00~17:30 (入館は17:00まで) 

 

●田嶋陽子書アート展

 ギャラリー花の妖精

2016年9月3日(土)

   ~ 9月11日(日) 

 

長野県軽井沢町

発地116-6 

電話0267-48-1273

田嶋陽子歌とトークショ 9/3(土)16時~

●CACA現代

      アート書展 

2016年9月13日(火)

    ~9月18日(日)

アートスペースリビーナ港区北青山3-5-25

表参道ビル4F

 

電話03-3401-2242

What's New

脳ベルshow(BSフジ)

1/20(水)22:00~

1/27(水)22:00~

 

 

田嶋陽子書アート展 & 歌

2016年

6月4日 土~7月24日 日 

笠間日動美術館 

企画展示館1階

茨城県笠間市笠間978-4 電話0296-72-2160

開館時間 9:30~17:00 (入館は16:30まで) 

休館日 月曜日

(祝日の場合は開館し、その翌日が休館)

★田嶋陽子歌とトーク 7/2(土)18時~ 

2016年

9月3日 土~9月11日 日

ギャラリー花の妖精

長野県軽井沢町発地116-6 

電話0267-48-1273)

★田嶋陽子歌とトーク 9/3(土)16時~