「凍てつく豆満江に思いを馳せる」       
  田嶋 陽子

『女性展望』2007年2月号 巻頭 

 

 近頃、中国と北朝鮮の間を流れる豆満江の映像がよくテレビに映し出される。脱北者たちが渡り、麻薬を密輸する人たちが渡る。
昭和十六年(一九
四一年)生まれの私は、父の転勤で、生後六ヶ月のころ、岡山から「満洲」に連れていかれた。その数ヵ月後、真珠湾攻撃で太平洋戦争勃発。父はまもなく、「満洲」から「朝鮮」に転勤を命じられた。「満洲」から「朝鮮」へ引っ越すとき、豆満江にかかる橋を、母は、私をおぶって渡ったのだ。
朝鮮で父に「赤紙」がくる。私はまだ二歳になるかならないかだったが、父を行かせまいとして、駅で大勢の見送りの人たちに挨拶する父の足から靴を片方脱がせ、その中に自分の片足を入れたまま、父の手を握って離さなかったのだという。

凍てついた豆満江の映像を見ながら、過去の原風景を思い出せない歯がゆさとともに、これまで感じたことのないような不安に襲われる。
 時代がぐるっと大きくまわってまたあの戦中戦後の飢餓と貧困、病と死の地獄が再現されはしないだろうか。それとも、化学兵器で一瞬のうちに露と消えてしまうことになるのか。あるいは、このまま年老いて、年金ももらえず、医療もろくに受けられずに、痴呆の中で虐待を受けて死ぬに死ねないまま、老いさらばえて生き続けるのだろうか。寝起きが悪いと、思いは暗い。
安倍総理は「戦後レジームの脱却」だとかで「美しい国」をつくるために「愛国心」を語り、教育基本法を変え、防衛庁を防衛省にした。憲法九条も変えるのだという。ブッシュの真似ではないだろうが、「主張する外交」が「圧力」だけだとは。知恵の欠けた日本の外交手腕に不安は増す。「天皇万歳」のかわりに、「美しい国万歳」で戦争になどならなければよいが。
 拉致問題で人権を訴え、しかも戦後レジームからの脱却だというなら、それこそ天皇家の人権の回復を問題にすべきではないか。「国民の総意」で天皇にされた人たちに選挙権もなければ職業の自由もなく、あらゆる自由が保障されないのはおかしい。

 
国の病理は家族に出る。家族の病理は子どもに出る。この国の病理は天皇家の弱い立場の人にも表れている。

 

■田嶋陽子「女は愛でバカになる」(集英社be文庫)に寄せて 
     1章:愛の悲劇
     2章:主婦の自立
     3章:家庭の罪と罰
     4章:男と女の謎
     5章:田嶋陽子への挑戦状

 

 毎日、女の人たちや男の人たちからさまざまなメールや手紙が届く。
 なかなかすべてに返事を書くことができない。その代わりに、この本を書いたと言ってもいい。

 次のものは男性からのメールである。あなたならどう答えるだろうか。
「女性が有利なこと、例えばレストランのレディースデーや、女性限定のサービスなんかは、男らしさや女らしさに反対の田嶋さんにとっては遺憾しがたいことではないんでしょうか?」
「歩きタバコ女、爆音マフラー車に乗る女、極ミニスカートで道いっぱい広がって歩く女子高校生、バカ男のまねをする女性が増えましたね。女性が活躍する社会を築きたいのか、女性が好き勝手する社会を作りたいのかどっちなんですか? 頑張ってる女性は今も昔も人数はかわってないのでは?」
「男社会が悪いと主張していますが、男と女で構成している社会です、男が悪いから男に変われという前に女が変わるべきです。男は女ではないのです」
「テレビなどで、よくフェミニズムのこと言うてますよね。何が、そんなに気にいらんのかよく判りません。私は男ですが、女の人を下に見たりしてないし、レイプ事件でも『あの女の格好が派手だから仕方がない』とか、思った事もないです。痴漢するのも確かに男性が全面的に悪いです。が、冤罪にされてしまう事もあるでしょう」

 これらの問いについて答えられたり、こう考える人たちと議論して相手を説得させることができたら、それはあなたが自信を持って生きている証拠でもある。でも大方の女性はただ苦しんでいる。

 女性からのメールや手紙の内容は、大学院で受けるセクハラ、職場で受けるセクハラ、就職のときに旧態依然として繰り返されるセクハラ質問、それらのせいで精神に変調をきたした苦痛の日々、主婦業の大変さ、などが切々とつづられている。
女性からの文章を見ると、女性差別に気づくのは、就職してからという人が圧倒的に多い。しかし差別は幼児期から空気のように生活全般を覆いつくし、気づいたときには手も足も出せない。和田勉さん(元NHKプロデューサー)が言っていたように「この社会では、女性は存在そのものがセクハラを受けているようなもの」だというのに、自分がどういう状況に置かれているかも知らない女性が多すぎる。

 女にとって、女は人間でも、男から見れば、女は人間ではない。「穴と袋」でしかない。
 そのことを女がきちんと知っていれば、もっとセクハラに敏感になれるし、それなりの対応もできるはずだ。
   女性たちは、どこかで自分が「穴と袋」扱いしかされていないことに気づきながらも、それを認めるのはみじめなので、自分の立場を明確に意識化しようとしない。
 残念ながら女性差別は構造なのだ。「自分だけは」という例外はない。
 あらゆる男がひざまずく美しい女でも、"男顔負け"の辣腕経営者でも、どんなに強いアスリートでも、優秀な学者でも、女はみんな「二等市民」扱いされている。一国の女王でさえも、男にとったら「あの女」でしかない。

 このような社会で、女性が誇りをもって生きていくのは大変だ。だから女性たちは、男社会に気に入られるように、みずから「穴と袋」を目指す。きれいになろう、やせよう、とメークを工夫し、ダイエットに精を出す。「男をゲットして幸せになろう」と。こうした努力の結果、男社会から「女」としてのお墨付きをもらった女たちは、やっと居場所を見つけた気になる。男社会の求める「女」の規範から外れる女が出れば女全体が非難されるから、女が女を監視する。「女の敵は女」といわれるゆえんもそこにある。自分で食い扶持が稼げない女の生きる道は、男社会の「優等生」でいるしかない。ギリシャの昔から、女が団結してことを起こそうにも、必ず裏切る女が出て、成功したためしがないのもそのせいだ。

 しかし、私がこの本で書いた理屈に腹の底から納得したら、自分がどう生きたいか、選ぶことができるはずだ。
 新しい生き方を選択した女は、従来通りの「女役割」を生きている女を馬鹿にしたりはしない。従来通りの「女役割」を踏襲する女も、自分はこうするけど、あなたと私は別と、他の女の生き方も応援できる。ただやみくもに「女は男に尽くすもの」「女は子どもを産むもの」と信じて、若い人たちをその道へ邁進させることはもうない。
 フランスには「キュロット(ズボン)をはくものは自由をもつ」という諺がある。女がズボンをはくと逮捕された時代があった。いま女性が当たり前のようにはいているスニーカーもズボンもフェミニストたちが勝ち取ったものだ。男女雇用機会均等法で、女性たちも少しずつ金のなる木を手にすることができるようになった。フェミニストたちは少しずつ女たちの居場所を勝ち取ってきた。少しずつ女が女を助けることができるようになった。
 あと少しだ!
             (2003年12月、田嶋 陽子)

 

田嶋陽子 「頑張れよ」大声が耳に残る
             (朝日新聞「おやじの背中」1997年10月27日)


 父のことは、バート・ランカスターにあこがれるくらいあこがれていました。 母が「お父さんは兄弟中で一番頭が良くてハンサムだ」って美化していたせいかもしれないけど。本当に面倒見がよくて優しい人だった。


 戦争中、父は静岡の酒造会社から満州(中国東北部)に派遣され、昭和18年(1943年)に兵隊にとられました。日本へ引き揚げた3歳の私と母のもとに、間もなく戦死の知らせが届きました。ところが母に再婚話が持ち上がったころ、ひょっこり帰ってきた。父の顔を忘れていた私は「変なおじちゃんが来たよ」と母を呼んだものです。 
 戦後、父は独立して酒屋を始めますが、母は脊椎(せきつい)カリエスで寝たきりになります。母の看病と生まれたばかりの弟の子育てを、父は人任せにせず全部自分でやりました。当時、結核の特効薬はなく、母にへびの血を飲ませたりお灸(きゅう)をすえたり、ありとあらゆる民間療法を試みます。近所で評判のいい父、いい夫でした。

 でも、元気だった私はほっておかれた。仲のいい両親がうらやましくて、母のように愛されたいというのが若いころの私の夢でした。

 父は私に一切干渉しませんでした。本当は外科医になりたかったんですが、「うちみたいな貧乏は無理だ」とのっけから相手にされませんでした。大学も大学院も全部奨学金で行きました。

 でも28で留学した時、日ごろ寡黙な父が飛行場に来て、「陽子、頑張れよ」とのどが張り裂けそうな大声出して手を振ってくれた。その声は今も耳に残っています。

 私が35で初めて家を建てると、毎月母と来て庭の手入れをしてくれました。その庭で脳いっ血で倒れた。救急車の中で初めて父の手を握りました。大きな、ちょっと“がわがわ”した手でした。はっきり父と目を見合わせたのもその時が初めてだったような気がします。病院に着いた時はもう意識がなくて。まだ50代の終わりでした。

 父は機械いじりが大好きで、工学関係に進みたかったといいます。あんなにやりたいことがいろいろあった人が、戦争と家族で働きづめ、苦労しづめで一生を終わってしまった。父は母から「お父さんが戦争にいったから私はこんなに苦労した」としょっちゅう言われていた。別に戦争したのは父の責任じゃないのに、父は一切言い訳をしなかった。

 「何を考えてたんだろうなあ」。父からは聞きたかったことがいっぱいあります。

●別姓問題は男女の人権意識を試す         田嶋陽子
(岩波書店「世界」1996年7月号)


 選択的夫婦別姓制度などを盛り込んだ民法改正案は今国会への提出が見送られそうだ。私自身は、結婚制度は、法的にも性差別の制度化だと考えているので、制度そのものがなくなることを望んでいるが、別姓制は、その前段階として、制度の中身の民主化を図る意味で、当然の動きだと思っている。
 ところが、この別姓制をめぐる議論では、予想以上に、旧態依然とした男のエゴが丸だしになって驚いた。男は、民主主義も人権もどこ吹く風、体裁をかなぐり捨てて、“男の都合”からしかモノをみていない。別姓反対派には女性もいるが、この男社会に過剰適応した哀れな優等生にすぎない。

 まず別姓反対派が共通して恐れているのが、別姓を認めれば、「家族の一体感が損なわれ」、「家族の絆」が断ち切られ、「家族の崩壊」が起こるというものだ。
 そもそも、彼らのいう「家族」「家庭」とは一体、何なのか。反対派の村上正邦参院議員は「厳しい父親の愛と無償の母親の愛、これが家族の絆をさらに強め」るのだと言い、アメリカの宗教学者の意見を援用して、家族の「徳」の見本は「妻や母が夫や子供に見せる〈没我の愛〉」だという。結局、「家族の一体感」だとか「家族の絆」だとか言われるものは、みんな、この妻や母の「無償の愛」や「没我の愛」という女の自己犠牲で成り立ってきた。そういういわゆる“伝統的”な家族は、とっくに崩壊に向かっている。大の女が自分を無くして、一生無償の奉仕をし続ける家族は、もともと不健康で非人道的なものだからだ。別姓が家庭崩壊に導くのではなく、家庭の中での夫婦関係が対等でないことがさまざまな社会問題を生み出しているのである。順番を間違えないでほしい。

 さらに反対派の心配は、「祖先、親、子、孫という『生命の縦の繁がり』」が切れることにある。しかし、その「連続性」は、父方のそのまた父方の先祖である。結婚して名前が変わった女の母方の先祖はみんな分断されている。「娘はもう他家に嫁いだのだから」と娘の親でさえ、「家族の絆」を断ち切ってきた。孫も、内孫・外孫と区別して差別してきたではないか。しかも男の家系の墓守りはだれがしてきたか。「無償の愛」を内面化した外様の「嫁」ではなかったのか。

 さらなる心配は、老人介護のことらしい。家を尊重しなくなれば、「老人の扶養義務は薄れて、我が国の福祉制度を補完してきたともいえる『世代間同居』」は、その基礎が崩れてしまうという。
 この文章は、まさに、『世代間同居』は主婦のタダ働きがあって実現されてきたことを暴露している。「嫁」には、夫の親の面倒をみる法的義務のないことを、ご存じか。結局、これまで国家が女の人生を犠牲にして、手抜き福祉をやってきただけのことで、それを公然と温存させるような発言は、国会議員として許せない。女を経済的に自立できない状況に追い込み、男なしで食っていけない社会システムを作っておいて“男に尽くせ”とは、なんて男社会は女に残酷であることよ。
 
 別姓にすれば「家族解体から国家の崩壊へ」つながると村上議員は恐れているが、逆から言えば、「女の無償の愛」が、国家を存続させてきたということにもなる。それは日本文化だけではない。世界中が、“女を守る”の別名で女を搾取してきた。でも、いま世界の潮流は、愛の名を借りた女の搾取は無効だ、人権にもとる、やめよう、と言っている。 
 別姓問題は、女性を一人の人問として考えられるか、それとも、母、妻の役割でしか考えられないか、男女の人権意識を試す問題である。まっさきにそういう潮流に敏感になるのが、国会議員の国会議員たるゆえんであると思うがどうだろうか。

●「真のセクシュアリティー追求を」田嶋陽子
 
(ハーレクイン「ロマンスの逆襲」1994年9月発行)


 イングリット・バーグマンとグレゴリー・ぺックが共演した『白い恐怖』という映画を観たことがありますか? その中で、イングリット・バーグマン演じる精神分析医がこんなことをいう場面があります。
 「世の中にいちばんの害毒を流しているのは詩人だ。愛の素晴らしさをまるでオーケストラのハーモニーであるかのように、天使たちが空を飛んでいるかのように伝えるが、彼らは愛に対して思い違いをしている」
 つまり、美しい夢のような愛などめったにない。夢と現実が違うことをしっかり認識しなくてはいけないということ。「永遠の愛」など実在しないのに、その甘美な響きにとらわれて、日常生活の中にそんなものをやみくもに求めていたらふつうの人はみんな不幸になることうけあいだからです。

 女性ならだれもが小さなころ『シンデレラ』や『白雪姫』を読んで胸をときめかせた経験があるはず。でもそれは、男文化を守ろうとする書き手のわな。ただ「待っていれば、いつの日かきっとステキな王子さまが私を迎えにやってくる」と、見果てぬ夢を抱いて化粧やダイエットに精を出す女性をつくりだすだけ。彼女たちは「好きな人と恋愛して、結婚するのがハッピーエンド。それが女のしあわせ」などと思い込まされているのかもしれませんが、それが本当のしあわせかどうかは結婚してみてはじめてわかること。
 そもそも人間関係に「エンド」はない。エンドは常に次なる出会いへのはじまりで、私たち自身の物語は人生が続くかぎり、現在進行形で展開していくんです。そこには二度、三度と結婚する人もいれば、シングルの自由を選ぶ人、セックスレスのカップルもいる。ハッピーエンドとなるのは唯一、充実した人生を送ったあとに訪れる「死」だけだというのが私の考えです。

 結婚という名のハッピーエンドを夢見ていると、「えっ結婚ってこんなものだったの」と地獄の中でもがくことにもなる。結婚は性差別の制度化なんだからたいていの人たちは自分をだましつづけないかぎり生きにくい。いっまでも「シンデレラ」幻想を抱いていたのでは、自分自身が成長するチャンスを逃し、確固とした考えや主張をもって自分の人生を歩んでいくことができなくなります。
 女性は王子さまに頼ることばかり考えないで自分に頼ることを覚えてはどうでしょう。そのためにはもっと自分を愛して可愛がって育ててやらなくては。その人がその人らしくなったら、ヒトでもモノでも向こうからやってきます。ものほしげな女には、ものほしげな男しか寄ってきません。

 数年前、ハーレクインロマンスをいっきに二十冊ほど読んだことがあります。講演の依頼があって、そのための準備でもあったのですが、とにかく久しぶりに読んでみると、建設技師がヒロインになっている作品はあるし、主婦は仕事をもち、OLはキャリアウーマンに、男は皿を洗い、子育てもするようになっている。再婚、年下のボーイフレンド、血や肌の色を問わない養子も登場し、時代の流れが取り入れられていて感心しました。でも、テーマは相変わらず恋愛。しかも必ず「ハッピーエンド」という点では変わっていなかった。
 ある意味で、ハーレクインは品のいい女性向けポルノ小説だと私は思っています。いつ手を触れ合うか、いつキスするのか、読者はひたすらそのシーンを待ちこがれるように描かれているからです。全く違う現実を生きている女性でも、この一冊を読んでいるときはヒロインと同じように夢中になり、陶酔し、ハッピーになれます。ロマンスに、仕事にと生きていくプロセスで、多少の困難は生じるにしても、前向きにがんばっていれば必ず、ひとりの例外もなくしあわせを手にすることができる。そう思わせてもらえたら元気が出ます。
 ただ読み終えたあと、これと現実とは違うと自分に言いきかせないと、妄想にとらわれ、シンデレラコンプレックスに足をすくわれ、恋愛中毒症になる危険があります。自分の人生は他人とは違うのだから、これとそれとは別に考えないとね。

 ハーレクインロマンスは同時代性を追ってきているとはいえ、私に言わせればまだ、女性の気持ちや体の表層部にとどまり、生きている現実の女性の実態や欲求には迫っていません。とくに、セクシュアリティーの問題にふたをしてしまっているのが残念だなと思います。ハーレクインは、ヘテロセクシュアル、つまり女と男の関係でしか愛をみていないでしょう。でも、実際には百人いたら百様の愛の形がある。レズビアン、ホモセクシャル、バイセクシャルが入ってきたりもする。ヘテロセクシャルだけが正当ではないのです。
 モアレポート、ハイトレポートなどの調査報告書はあるけれど、まだ女性のセクシュアリティーを真正面からとらえた小説はでていないように思います。その影響力の大きさを考えると、私はハーレクインにこそ女性のさまざまなセクシュアリティーを追求していく役割を担ってほしいなと思います。それによって読者ももっと自信をもって自由にいきいきと生きていけるようになったらすばらしい。そのためにも、まずすみやかにセクシュアリティーのふたをはずして、作品の間口を広げてみたらいいと思います。(談)

●「私についての物語 田嶋陽子」
 
(「クロワッサン」1997年8月10日号)

                                          写真=青木和義

「女らしさ」も、「私らしさ」も取り去って、
自分の頭で考える私、であり続けたい。


▲法政大学「フェミニズム論」講義中。

「がっかりしたね、みんなのレポートには。知的じゃないよ。世間の評論家の言葉そのまま、自分の血肉を通してない。周囲の価値観や親の強迫観念をそのまま自分の生き方にしててどうする。それを間い直すのが大学でしょ」
法政大学の「女性学」公開講座の教室によく通る声がマイクを通して響く。舌鋒はテレビ『たけしのTVタックル』と変わらない。10代の法学部学生の間に、年輩の女性も交じる。
「人間を産める女は、その素晴らしい能力ゆえに差別状況を生きるはめになった。女をセックス用の"穴"と子産みの"袋"としか考えない父権制社会の構造は4月に説明したね。『女をモノにする』って言うけど、女はモノか?動物でもお化けでもない。人格なんだ」
法政大学で英文学の教壇に立って25年が経つ。20年前からゲリラで、今はこうして正式に女性学、男性学の講座を持つようになった。他に研究会、講演などの多忙の日が統く。

母親との軋轢の中で、
気がついたらフェミニスト。


「5歳からフェミニストだったと言えるよね、私。こんな娘は嫁のもらい手がないと言われて、誰が行くもんかって。その通りになった(笑)」

大柄で『シンデレラの靴』が履けそうもない大足の娘(失礼!)は「こんな不細工な顔はうちの家系にはない」と言われて傷つきもした。弟を出産後、当時は不治の病だった脊椎カリエスでぺッドに寝たきりの母に、二尺物差しで叩かれながら教育された。
「どうしたら誉められるか、気に入られるか。当然、愛されるということに敏感な子になる。子どもの頃は、病身の母の不安や抑圧なんてわからないから。支配されて、相手の顔色をうかがう奴隷根性を植え付けられていった。ある種の人間の前では自意識過剰になって、自分が自分でなくなってしまうことも多かったですね。特に好きな人の前で」
今の言動からは想像もつかない少女時代だ。しかし、驚くほど明快に彼女は変わったのだ。時間をかけ、自分はなぜこうなのだろうかと考えあぐね、恋を重ねて。

取材申し込みに対して、「私についての物語なんて、56年も生きてるんだ、いろんなことがあって語り尽くせないよ~」
が第一声だったのにも一理ある。


▲「娘は母との関係を見つめ直す必要があるよ」。今は「少し怖い年上の友人」の母と。2歳半。
母親の抑圧から解放されたと思ったのは46歳のときだったという。

もの静かでやさしく面倒見がよくて、父が病身の母にしたように尽くしてくれた、"星の王子さま"との20代の恋、30代でのイギリス留学中に出会ったベルギー貴族との恋。そして宿命の恋人と邂逅したのは二度目の留学での40歳のときだった。帰国後5年間の「通い婚」を経て、別れを決意する頃には、それまで母親には言えなかった言葉が言えたのだ。
「お母さん、私のことは私に決めさせて」と。

大恋愛だった。大いなる闘争でもあった。やりたい仕事と、彼の"愛情"による支配との。このイギリス人の恋人との葛藤を通して、自分が母親にいかに抑圧されていたかを見ることができた。 

▲母親との確執を乗り越えるのに必要だった「宿命の恋人」と。今はいい友人である。

「彼が必死で自分の世界に私を取り込もうとすればするほど、私はそうされまいともがいた。ふんだんに愛を与える一方で、彼はときとして支配者そのものになった。それは厳しかった母との関係に似ていた。母とは闘えなかったけど、彼を代理にして、私は自我と抑圧との闘いをし、やっとひとりでも充足できる自信を得た。別れは辛くて寂しかったけど。私にとって恋愛は癒しでもあり、セラピーでもあった」
大事な恋愛は、自分の無意識を映し出す。多くの場合、その人の親との関係が投影されてることが多い。もう慰めの恋は必要ない。自分の2本足で立ったのだから。

その足だが、30代は靴のせいでひどい腰痛に悩まされていたという。外出拒否症になるくらいに。
「気がついたらお姫さまに憧れる少女になってました。花模様のワンピースにハイヒール」
腰痛は、大学生になって以来、幅が狭くて、足先をペンチのように締め付けるハイヒールを、大足ながらも無理して履いていたせいだった。

「手に職をと言われて育つ一方で、しっかり"女らしさ"も仕込まれていたんだね。自分の体を傷つけるまで、"女"をやめられなかった。"女らしさ"は体も心も歪め、命までも削るということですよ」

▲「カッコつき『男』『女』をよして、人間であろうよ。男も女もラクになろう、と言いたいのよ」。授業と講演後のビールが旨い。
ハイヒールを捨てスカートを捨てたら、すっかり腰痛は癒え、冷え性も治った。女が美しさだけに価値基準を置くことへの疑間。自分の体と心を通してのフェミニストの誕生だ。

「家庭と社会がいかに人間を抑圧するか。抑圧は家庭内で伝播するんですよ。母に怯えながら、私は陰で弟をいじめてました。母親たちが自我を殺して生活することで、その毒気は弱い立場の子どもに向けられる。子どもはまたそれを他の弱い子や動物に向けていく。こうして抑圧の構造は連綿と繁がっていく、ということを身をもって学んだんです」
母親も勉強したい、仕事をしたいという願望を殺して生きてきたのだった。抑圧の連鎖。自分はファミリー・チェーンを断ち切ろうと出産を選ばなかった。
「この男の子どもを、と思ったこともありますよ、そりゃ。でも私は人間の女で、動物の雌じゃないもの。自分で決定したいじゃない。夢じゃ子どもは産めないよね。今なら余裕があるから、ちょっと産んじゃおうかな、と最近思ったりもしたけど(笑)。でも、正直言って自分を育て直すのに精一杯だった」

▲法政大学の授業は遅刻厳禁に毎週レポート提出、と厳しいが、生徒数は減らない。学生と一緒にランチに行く間も論議中。
アダルト・チルドレン。拒食症。家庭内暴力。いじめ。こういった現在の全ての間題は、父権制社全の抑圧構造に端を発していると言う。
「食事作りと子育てには膨大な時間がかかる。男もやってみればいい。家庭内労働のみすることで、大部分の女は自分には能力がないと思わされてきた。無力にされてきたと言ってもいい。でも、女にだって自我はあるし、能力もあるよね。家庭内で親が対等でなければ、子どもはそれを見てる。自分たちもまたその歪んだ関係を踏襲する。男と女が人間として対等でないと、世界は歪み続けるということだよね」
"フェミニズム"は、世の中全体を根幹から引っくり返す作業だとも言う。結局、男が経済理論で働き続ければ、自然を破壊しすぎて廃棄物が出るという環境破壊にも繋がる。それを支えてるのが女。
「主婦を.否定してる訳じゃない。そういう構造に乗っているんだとわかってやってるなら選択ができる。ただ、知ってます?家庭内労働と老人介護代を月給にしたら48万円ですよ。国が出した数字。誰に食わせてもらってるんだ、という台詞がありますけど、誰がこれだけ払ってます?」
「うっかり」出演してしまったテレビでも、考える通りのことを喋った。編集されて「教授、怒る」の文字が先行した。有名なたけしとの"パンツを洗え、洗わない"論争も起きた。フェミニストからの攻撃も受けた。

構造を憎んで、人を憎まず。
知らずにいることを悲しむ。


「テレビ出演なんて所詮さらし者かもしれない。ただ、世間から必要とされてる間は、女性にもっと自分を持って楽に生きようよ、と言い続けたい。男にもね。私自身が楽になったんだもん。面白く生きられるようになった。悲しいのは、フェミニズムなんて今さら後れてるとか、なんで女が美しくて悪いのさというレベルになってしまうこと。女が女を差別し、敵視せざるをえない状況です」
小学校で少し勉強が難しくなると「男の先生に教わりなさい」。母親からして、「女の子なんだから」と家事の手伝いをさせて、プライドをズ久ズタにする。男子は特権をいっばい持たせられている。女の子はだんだん男のほうが上なんだと思うようになる。
「男に憧れるということは、他の女性を軽蔑してるんだよね」

▲「いつもは女性相手だから、とても緊張した」という聴衆の殆どが男性の講演会後。握手を求める男性多数で「よかったァ」。

ボディコン、ハイヒール結構。美しさを武器にしたっていい。主婦を選ぶのもいい。自分の体と社会構造がわかっての選択なら。このフェミニストは「構造を憎んで、男性も主婦も憎んでる訳じゃない」のだ。たけしに指摘された通り、緒婚してたら、「下手な女より女らしい良妻賢母なったでしょうね。そういう風に育てられたから。でも自我が強いから苦しんで、主婦に多い神経症や胃がんにもなるだろうし、いや、首吊って死んでたかもしれない」

自分がわかったことを伝えたい。この人は、根っからの教師なのだろう。今は親や社会からの抑圧から抜け出るためのカウンセリングやセラピーのことも授業でやっている。
「今の夢はね、心理療法をきちんと学ぶために留学すること。あ、夢といえば小さい頃から映画製作が夢で、その資金作りのためもあってCMにも出演したけどムリ。恋? さあね。私の場合、何かから逃避したいときに恋してたような気がする。今は逃げる必要がないもの。恋もいいけど、恋より面白いことがいっぱいあるんだもん。男の人が知識ひけらかすんじゃなくて、自分の気持ちを話せるようになると面白いんだけどね」


▲「わがままにやってても、ストレスだらけですよ、そりゃ。でも、納得でされぱいいよ」。
46歳で自立したから、倍の「92歳まで生きる宣言したけど、望み低すぎかナ」。
テレビで観る教授そのものの豪快な笑い。男らしさ、女らしさ、怒る教授らしさ、の全てのらしさを脱ぎ捨てて、田嶋陽子がそこにいた。
「わがままと言われるけれど、As I am わがまま、って人間がその人であるってことじゃない? 男も女も」




  田嶋陽子  書アート個展

 ★田嶋陽子の「書」アート展

こもれる日々

      2017615日(木)~621日(水)

    ギャラリー      コンセプト21

 

         (港区北青山3-15-16              TEL03-3406-0466

 

2016年8月~予定

●ZEN展 

2016年

8月22日(月)

     ~29日(月) 

東京都美術館 

ロビー階第一展示室

東京都台東区上野公園8-36

TEL03-3823-6921

開館時間 9:00~17:30 (入館は17:00まで) 

 

●田嶋陽子書アート展

 ギャラリー花の妖精

2016年9月3日(土)

   ~ 9月11日(日) 

 

長野県軽井沢町

発地116-6 

電話0267-48-1273

田嶋陽子歌とトークショ 9/3(土)16時~

●CACA現代

      アート書展 

2016年9月13日(火)

    ~9月18日(日)

アートスペースリビーナ港区北青山3-5-25

表参道ビル4F

 

電話03-3401-2242

What's New

脳ベルshow(BSフジ)

1/20(水)22:00~

1/27(水)22:00~

 

 

田嶋陽子書アート展 & 歌

2016年

6月4日 土~7月24日 日 

笠間日動美術館 

企画展示館1階

茨城県笠間市笠間978-4 電話0296-72-2160

開館時間 9:30~17:00 (入館は16:30まで) 

休館日 月曜日

(祝日の場合は開館し、その翌日が休館)

★田嶋陽子歌とトーク 7/2(土)18時~ 

2016年

9月3日 土~9月11日 日

ギャラリー花の妖精

長野県軽井沢町発地116-6 

電話0267-48-1273)

★田嶋陽子歌とトーク 9/3(土)16時~