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●「現代の肖像 田嶋陽子―日本で最もテレビ向きのフェミニスト」
         
(「AERA」1992年2月11日号 創刊200号記念)

フリーライター 島崎今日子
写真 鷹野晃
女性学者
田嶋陽子


目本で最もテレビ向きのフェミニスト
「男は目分のパンツくらい自分で洗え」

素朴なキャラクターがうけて、
突然、テレビ番組のスターになった。
信は曲げず、女と男の解放を説き続ける。


 「飯も作れないような、パンツも洗えないような男は、(人間として)一人前じゃないよね」
 1991年1月7日。この日オンエアされたテレビ朝日の「たけしのTVタックル」では、「ダメな男につけるクスリ」と題したテ-マで、ビ-トたけしと四人の女性ゲストたちがトークを繰り広げていた。

 法政大学教授田嶋陽子の「パンツ発言」が飛び出したのは、その最中だった。放送後の反響は大きかった。
 「二十年間の積もり積もった鬱憤をよくぞ晴らしてくれた」と田嶋を支持する主婦がいる一方で、「好きな人のバンツも洗えないで、女の幸福があるのか」と田嶋に怒りを向ける18歳の少女がいた。
 百通を超える投書が届き、一%が百万人といわれる視聴率が二%もアップした。同番組ではその後2回にわたり、田嶋とたけしを中心に「パンツ論争」を闘わせることになる。
たけしが言う。
「家庭で女はバンツ洗ってるかもしんないけど、男は社会に出て同じようなことやってんだよ」
田嶋が応える。
「だけど、その男は家に帰ればパンツ洗ってくれる女がいるじゃない」
「そのために男は生活費払ってる」
「足らないよ、そんなお金。男は自分で洗え!」
「いやだね。洗うぐらいなら、カミサンが『お願いだから脱いでくれ』って言うまではいとくよ」
「なぜよ」
「汚いもん。パンツ洗うって、尿療法と同じようなもんじゃない。尿を飲まなきゃ死ぬって言われても、オイラは飲めない。それが俺の美意識で、それが文化だもん」
「文化って、差別なんだよ」
「そうだよ。でもさ、洗えとは言ってない。やるからやらせてるんだよ」

「そこが問題なのよ。男と女がセットになると、女がバンツを洗わなきゃならない状況に追い込まれる。それがイヤだって、言ってるの」
「それじゃ、洗わなきゃいいじゃん。でも、洗わなきゃいい状況は、自分たちが闘いとらなきゃいけないよね。男がなぜ応援しなきゃいけないんだよ、自分たちの損になること」
 田嶋とたけしの応酬が結論を見ることはなかったが、三度目の放送日には、田嶋の立場は、それまでのゲストからレギュラーへと変わり、「女たけし」の名で売り出されていた。
 それは、「テレビに出てる他の女性運動家じゃやる気ないっていうたけしさんが、田嶋さんならいいって」とプロデューサーの薦田義邦が認めるように、田嶋が主役のたけしにとって刺激剤となる存在だったからである。
「バートナーとしては今までにないタイプだから、面白いよ。リアクションが楽しみだね」(ビートたけし)


 田嶋が民放テレビに初めて出演したのは、1990年夏である。
 7月、国内留学で授業を休み、3年前に建てた軽井沢の自宅で研究に没頭していた田嶋のもとに、フジテレビのアシスタントディレクター(当時)小須田和夫から電話が入った。「笑っていいとも」で、女性学を講義してほしいという依頼だった。
「私、タモリさんも『笑っていいとも』も知らなかったのね。イヤだって言ったのに、一回だけってしつこいの。日本青年館でやった『花婿学校』みたいに、男に語る形でフェミニズムを語れって言われれぱ、もう断れない。その日にテレビ買って、勉強したわよ。ちょうどテレフォンショッキングに柿沢弘治さんが出てたから、ああこれに出るんだと思ったのね。ところが:…・さ」
 田嶋に用意されていたのは、「モリタの花婿アカデミー」というコーナーだった。カメラの前に立った彼女は、タモリやウッチャンナンチャンを相手に、女がこの社会で抑圧されていることを懸命に説明しようとした。返ってくるのは笑いと冷やかし。なぜ笑われるのかわからないで戸惑い唖然とすると、また会場が沸く。

テレビ番組のレギュラーに
友人は冷たい反応をみせた


「絶句する度に笑われるのよ。あー、晒し者にされてるんだと、そのとき初めてわかったのね」
 落ち込んで帰宅した彼女を待っていたのは、身近な人の冷たい反応だった。大学時代の指導教授は厳しかった。
「笑いものになるなんて大学教授のすることか。お前のいいところは一つも出てない。もう俺の弟子じゃない」
 救いを求めて母に電語を入れたが、受話器の向こう側で母は沈黙したままだった。
 女性学をやっている知人たちからは、ファクスが次々と送られてきた。「あんな場所でフェミニズムを笑い物にした」という抗議だった。

 しかし、このとき、フジテレビには逆の反響が殺到していた。
「『あの人は誰だ?」って問い合わせが相次ぎ、スゴい人を見つけたなって。タモリさんも先生のことを気にいっていた。言い足りないことをちゃんと言いましょうって、いやがる先生を何度も口説きました」(小須田和夫)
 
 頭の回転の速さ、説得力のある話術、何より田嶋の純朴なキャラクターを貴重だと感じた小須田らの説得に負けた形で、彼女は夏休みの間、週一度「笑っていいとも」に出演することになる。
 「出る度にすごい徒労感だった。ポルノ撮られてるのと同じでしょ。あの人たちは私を笑うために使ったんだもん。でもね、一生懸命やったよ。笑われても、畜生、今度こそはもっとちゃんと言いたいことを言おうと思うの。これで終わったら立つ瀬ないって。それが使う側の思う壺だったんだね」

 そして1991年4月には、冒頭で記したように「たけしのTVタックル」の定席に座ることになる。
 テレビにうんざりしていた田嶋を動かしたのは、「あなたが言わなくて、誰がきちんと女の問題を語るんです」というプロデューサーの言葉だった。
「驚いたことにあの人、たけしも知らなかった。世間に対してあれだけ子供で、しゃべるテクニックを持っていない人はいない。田嶋さんがいるだけでスタジオが活性化するんです」当時の担当プロデューサー藤田邦雄)

テレビ出演で人気が急上昇した
英語のゼミで女性学を講義する


 しかし、田嶋のもとには、一部のフェミニストを自称する人たちからファクス攻撃が再開されていた。
「たけしに言い負かされたって怒ってるの。私、ちゃんと言ってるんだよ。私がたけしを攻撃してるところはカットされてるんだよ。私、テレビが編集すること、知らなかったんだよね」
 タレントもどきでテレビに出ることは商業主義だという声も聞こえてきた。
 週刊誌の漫画では嫌われ者の女とからかわれた。「あんな女をテレビに出すとは言語道断」という投書も目にした。職場では、大学教授のテレビ出演を批判する新聞記事を見せられた。お粥しか喉を通らない日が続く。

 が、街で会った女の子やオバサンたちは「見てますよ。頑張ってね」と声をかけてくれた。電章の中で、脚を大きく開いて座っていた男子高校生たちが、彼女を見つけた途端、「あっ、先生に怒られるゾ」と、つつきあって脚を閉じるのを見かけた。テレビで田嶋が、脚を開いて座る男性を批判したことを、彼らは覚えていたのだ。
 「よくぞ、言ってくれた」と励ますハガキが届いた。テレビでフェミニズムという言葉を聞く時代が来るとは思わなかった、と喜んでくれる先輩の女性学者がいた。大学では、「母がファンです」と、男子学生にプレゼントを手渡され、握手を求められた。
 「テレビに出るのはよそうって、何度も決めた。でも、その度に、励ましてくれる人がいるんだね。友達になろうなんて全然期待してないテレビの世界の人が、思わぬ好意を示してくれたりする。そうすると、舞い上がるぐらい嬉しいのね。それで今まで来たって感じ。ただ、私、自分が商品だってこと、知ってるよ。視聴率が下がると、いつポイされるかわからないって」

 その日、法政大学44号室では「英語特講」の授業が行われていた。田嶋の持つゼミで、英語と名はついているが、実質は女性学の授業である。
 学生は男女半々の割合で、約20名。女性二人の逃避行を描いた語題のアメリカ映画「テルマ&ルイーズ」の中の女性像、男性像を、フェミニズムの視点から話し合うという形で授業は進められていった。
 レイプが引き金となって主人公たちの逃走が始まることから、レイプに議論が及んだ。レイプされる女にも隙がある、いやレイプは一方的な暴カであると二つの意見が出たところで、田嶋が口を開いた。
「見知らぬ男に誘われて車に乗った女の子が、レイプされた。女の子にもその気があったという意見があったよね。車に乗りたいと思ったことが、どうしてセックスしてもいいってことになるの。その偏見は怖いよね。人が人を襲うって、最低のことじゃない」
 大半の学生は熱心に田嶋の語に耳を傾けているが、中に一人ずっと顔をそむけたままの男子学生がいた。彼は、全身で田嶋の話を拒否しているように見えた。

 昨年、東京女子大の哲学科を卒業した森田真理子は、四年間、田嶋の女性学の授業で皆勤を続けた。二年間は東女の短大で、四大編入後の二年間は法政大学の聴講生として、である。
 森田は、初めて出席したときの田嶋の授業をよく覚えている。女に生まれてよかったか悪かったか、その理由を書かされた。それからは様々な映画を見せられ、レポートに追いまくられた。だんだんと世の中の構造が見えてきた。
「先生の授業は、とても怖かった。女が結婚制度にどう取り込まれていくかを、18歳の女の子が知ってしまうんですよ。ああ、それを言われちゃったらおしまいだよってとこあった。でも、私には先生の言ってることが正しいってうなずけたんですね」

 田嶋の授業を受けて森田のように生き方にまで影響を受ける学生もいれば、先の男子学生のように拒否反応を示す学生もいる。
「三分の一は、脱落しちゃいますね。とくに男の子はフェミニズムやると、男としての特権手放さなきゃならないから。ただ、みんな、先生の授業のように本質を教えてくれる授業を受けたことないって、それは言いますね」

岡山に生まれ沼津で育つ
病床の母に折檻をうけた


 フェミニズムとは、女性がこの社会で不当な扱いを受けていることに対する異議申し立ての思想である。田嶋はフェミニズムは学問ではなく生きることそのものだという。彼女は自分自身の体験を通して、結婚恋愛の中に組み込まれた根本的な女性抑圧のからくりを知った。そしてその抑圧は、個人的な問題ではなく女性全体の普遍的な問題であると確信するようになった。

 1941年、岡山に生まれる。駆け落ち同然の結婚をした両親にできた初めての子供だったが、幼年時代、父の召集で、母と娘は父の実家と母の実家を転々とする居候生活を送る。
「このとき、人に食わせてもらうみじめさを思い知ったのね。ご飯のとき、みんなにはシャケがついてるのに、私と母の前にはないの。私、三つぐらいだからわけわかんなくて、私もシャケほしいって言ったのね。すると、母にピシャって叩かれて。四つで、緒婚しないって言ったみたいよ」

 敗戦後、父が帰ってきた。一家は沼津へ。父は酒屋を開業、田嶋が六歳のとき弟が生まれたが、出産が引き金となって母が脊権カリエスを発病、六年間寝たきりの生活を送ることになる。
 小学一年の田嶋は、母の病気回復祈願のために毎朝四時に起きて、遠くの山まで寒参りに出かけた。学校には、どうしても遅刻してしまう。先生に叱られても、理由は言わなかった。それでも成績は抜群によく、小学校四年になると、母の病気を治すために医者になろうと決めていた。

 そんな娘に母は厳しかった。店の手伝いをすること、母のベッドの横で勉強することが、娘の日々の義務だった。国語の教科書が暗記できないと、二尺差しでピシャリと叩かれる。お灸をすえられたこともある。「お前が可愛いから、立派な人間に育ってほしいからだよ」と言われると、母に愛されたい娘はじっと我慢する他はなかった。母との葛藤に、娘はその後40年間も苦しめられる。
 「あれはいじめだったよ。三十代の一番いい時期、死ぬかもしれない病気にかかって、母も苦しかったんだね。その鬱憤が私にきたのね。私の顔が歪んじゃったのも、そのせいよ。母が怖くて、家に帰るのがイヤで、学校の運動場でポツンとしてるとかさ、一人で屋上で踊ってたこともあった」

 娘が中学に上がる頃、画期的な新薬が発明され、母の病気は完治した。しかし、娘は母の顔色をうかがって自分を殺すことが習性になっていた。父は、つまるところ母側の人間だった。
「誰かに愛されたい」と願う娘は、中学三年生で恋をして、その模様を綴った日記を父に読まれ、目の前で破られ燃やされた。そのときまで県でも有数の進学校に進学するつもりでいた田嶋は「色気づいた娘を共学には行かせられない」という両親によって、女子校の沼津西高校に進学させられる。医者への夢はその時点で捨てたが、大学だけはどうしても行きたいと、両親に頼み込んだ。
 東大を受けるように先生は勧めたが、田嶋には自信がなかった。「お前ほど勉強すればできて当たり前。お前は頭が悪い」と親に言われ続けた娘にとって、小学生で生理が始まったことも、額が狭いことも、胸が大きいことも、みんな頭の悪い証拠に思えた。

 1960年、津田塾大学英文学科に入学。実家を離れた田嶋はやっと解放されたと思ったが、今度は母は「結婚」で娘を責めるようになった。それは、「自立した人間になれ」と育てられた娘には、母の裏切りと映った。
 69年同大学院博士課程修了後、奨学金を得てイギリスに留学。この時代、年下のベルギーの公爵に求婚され、彼のお城で暮らす「夢のような恋愛」を経験する。
「恋愛はいっばいしたよ。両親からもらえなかった愛情をむさぽるように、たくさんたくさんもらったよ。その愛があるから、生きてこれたって感じ」

 田嶋が母との軋轢にピリオドを打つことができたのも、恋愛を通してだった。その恋は、二度目のイギリス留学をした39歳に始まり、46歳で終わった。
「すごく気が合った人だったけれど、着るものとか、食べ物、付き合う人まで干渉するのね。最初はそれを愛だと思っていた。でも、だんだん窮屈になり、これはどこかで見覚えのある懐かしい感覚だって気づいたの。ああ、彼は母と同じなんだって」
 愛されたいために、心では「ノー」と言っていても、顔では作り笑いをして「イエス」と言ってしまう。相手の好みに合わせ、自分の欲求を抑える。それはとても窮屈で、不自由なことだ。多くの女が、母や夫を相手に、愛という名の支配にどれだけ苦しんでいるか、田嶋は「最高の恋愛」を通して思い至ったのである。
 母は、父が死ぬと「結婚すると女は損だからね」と言うようになっていた。が、口やかましく指図するところは変わらなかった。田嶋はある日、ついに母に「私の問題だから黙っていて」と口にした。母は顔色を変えたが、娘が言いなりになった今までとは違うことは敏感に感じたらしい。娘は母と和解できたと思った。

 今、母は月に一度娘の顔を見るために静岡から上京する。母は女であるという理由だけで教育を受けさせてもらえず、夫に教えられるまで字が書けなかった。その母が、娘が水をやるのを忘れて黄色くなった鉢植えに、「私はのどがかわいた。水がほしい」と詩もどきの文章を書いた紙を貼っていたのを見たとき、娘は声をあげて泣いた。母も自分と同じ女だった。
 「あの子が出てる番組を見るのは、切ないね。男みたいでしょ。でも、私、あの子が何をやっても止めないの。借金して家を買っても、好きにしなって言うの。私が散々やりたかったことを、陽子はやってるんだから」
 電語口の向こうで、母の初枝は自慢の娘だと言った。

 田嶋は道化を承知で自分を晒し者にする。それは、フェミニズムに出会って自分がラクになったからこそできることだと言う。
「フェミニズムは、自由に生きようよって言ってるのよ。だから、私、他の女の人たちに言ってあげたいのね。好きに生きてもいいんだよって」
 軽井沢の田嶋の自宅で取材が終わったのは、夜中の三時過ぎだった。ベランダから大きな歌声が聞こえてきた。美輪明宏のシャンソンに合わせて歌う、田嶋の朗々とした声だった。
(文中敬称略)


 

『月刊女性情報』2008年1月号 巻頭 
“女たちの未来ー明日へのメッセージ”
「女性がvisibleな存在に!」       
田嶋 陽子
 

 年末の報道番組を見ていたら、日本の財政について女性二人だけの議論があった。大田弘子経済財政担当大臣と、浜矩子同志社大教授である。珍しい光景だ。
 今まで日本の財政など大そうな問題は、男性大臣や男性評論家の独壇場だった。相変わらず司会者の男性は脇に女性のアシスタントを置いてはいたが、一方で、女性たちが着実に日本の国政を担い論じる地位にエンパワーしつつある。世の中、変わりつつあるなと思った。

 最近、金融界でも、女性コメンテーターの活躍がめざましい。女子マラソンを見ていたら白バイ先導隊のドライバーが女性だった。昨年の薬害肝炎問題では、女性たちが頑張って訴訟を勝ち取り、国に法律を作らせた。
 この『女性情報』では、過去何度も「女性初の」という特集が組まれた。女性初の警察署長、新幹線運転士、主計官・・・。そういう記事が出るたび「逆に女性差別だ」などとトンチンカンな批判をする若い女性がいたりして、それからして、日本は「女性初」のニュースが似合う社会でもある。

 それでも一般の人たちの意識は少しずつ変化してきている。去年のNHK紅白歌合戦の司会者は、どうしたことか白組も紅組も男性になった。まだ司会者に女性が珍しいころから、NHKの紅白歌合戦だけは、女性も司会者になれたのに。NHKには抗議の電話が殺到したらしい。「男女同権が叫ばれて久しいのに、なぜ紅組の司会が男性なのか」と。よくやった!
 この抗議に対して過剰反応だという批判も多かったが、NHKは国民から受信料6000億円を徴収し、予算案には国会の承認がいる。NHKの目的が「公共の福祉のため」というなら、「男女共同参画社会基本法」にのっとった番組作りをする義務もあろうというもの。

 また、先日、JR東日本は、黒石寺(岩手)の裸祭りのポスターの掲示を断った。「胸毛などに特に女性が不快に感じる図柄で、見たくないものを見せるのはセクハラ」だというのがその理由。
男なら何でもOKの“男性性露出過剰”の時代から、男のディセンシィ(社会的規範から見た品位)がチェックされる時代にもなったシンボリックな出来事である。これも一つの自由へのプロセスだと思う。その試行錯誤のプロセスの中で、いい方向が出てくるものと信じている。
 まだどっぷり男性中心社会であるがゆえに、女性のハダカだけは相変わらず過剰露出だが、女性のエンパワメントぶりは、確かに、かつての「invisible(目に見えない)」な存在から、日を追って「visible(目に見える)」な存在になりつつある。

 


 それでもまだ世界基準から見ると、日本の女性のエンパワメントぶりは、世界93ヵ国中54位。政策や法律で生活や意識が変わるのであれば、衆議院における女性議員の割合が9.4%というのは嘆かわしい。女性の国会議員の数が世界でも下位(189カ国中131位)に近いということは、日本人の人権意識や民主主義の成熟度が西欧に比べて二十年遅れであり、ひいては、日本女性の社会的地位も西欧に比べて二十年遅れであるということ。
 日本の政界は男の牙城、女性の進出がいちばん難しい領域かもしれない。ここを突き崩せたら、日本も胸を張って民主主義国家と言えるだろう。

 世界ではすでに、女性大統領、女性首相たちが活躍している。環境問題で世界をリードしたノルウェーのブルントラント元首相。大赤字だった国を10年で黒字国にしたニュージーランドのクラーク首相は、徹底して動植物や農業を保護することで国柄を生かし、同時にアメリカや日本とビジネス協定を結び、一方で空軍攻撃突撃部を廃止。その決断力と柔軟性は見事である。
国情が安定していないチリのバチェレ大統領の活躍もめざましい。ドイツのメルケル首相も非常に意思強く、強力なリーダーシップを発揮している。
EUで欧州統合が進んでいる。欧州では戦争のできない体制ができつつある。これからは平和と生活重視の政策だ。

 日本はいまこそ、アメリカ追随を控え、平和憲法を護り戦争をしない国の先頭を走ることである。防衛省は「安全保障省」に改名し、何百億円もの戦闘機を買いあさる政策を捨て、災害時などの救援活動をメインとする省にすべきだ。新たに「子ども家族省」を作り少子化に即刻対応すべきだ。外交力を磨き、平和の維持と生活重視の政治を率先して行うべきだ。

 与野党が繰り返し唱える「生活者の視点」「少子化対策」などは空念仏に聞こえる。私生活で生活者になったこともなく節約をしたこともない古参の政治家たちに何が出来るというのか。
 そろそろ国政を担える女性たちが出てきてもいい。それともやはりまだ二十年待たないといけないのか。

 

 

「女性の社会進出は日本を支える希望だ」
(『先見経済』2009年6月1日号)

 

 先日、日本青年会議所(JC)の「憲法タウンミーティングOSAKA」にパネラーとして参加した。
 JCの日本を戦争できる国にしたいかのような改憲案にショックを受けた。さらにショックだったのは、「憲法24条 両性の本質的平等」の項目が削られていたことだ。この項目は、ウクライナ人のベアテ・シロタ・ゴードンさんが、当時、男性に隷属させられていた日本の女性たちの意見を聞きながら作ったものだ。しかし会場の人たちの70%が「いまの日本は男女平等が行き過ぎている」に賛同していた。これからの日本を背負うつもりであろう男性たちの、人権意識の希薄さにがっかりした。そういえば麻生太郎総理も、JCの会頭だったし、先日、官房副長官を辞任した鴻池祥肇氏は会員だった。
 みんな、なぜ少子化が起きているのか分かっていないのではないか。女が子どもを産まない、産めないのは、憲法24条の「男女の平等」が到達されてないからなのに。昔、ギリシャ時代のアリストパネスの喜劇に、戦争ばかりする男たちに反旗を翻して、女たちが子どもを産まないストをやった話がある。それと同じで、いわゆる先進国の女性たちが、子どもを産まないという形でストライキしているのだ。なぜなら、子供を産んだ女性は、働いて自立するという基本的人権が行使できなくなるからだ。政治・行政の貧しさで、子持ち女性の70%以上が正規の仕事を続けられなくなっている。
 日本は、経済的には世界の上位であったとしても、女性の地位が低い国として悪名が高い。「ジェンダーギャップ指数(男女平等指数)」は130ヶ国中98位で、先進国の中では最下位(「世界経済フォーラム」2008年)だ。日本の女性の学歴は男性と同じレベルで、OECDの中で第3位なのに、日本の男性の就業率93%に比べて、女性の就業率は、67.4%しかない(「OECD雇用アウトルック」2008年)。女性の就業率があと8%上がれば、年金問題は解決すると言う。日本は女性という資源の無駄使いをしている。
 フェミニズム(思想)が、女性学(学問)となり、その成果として社会改革のための男女共同参画社会基本法が成立(1999年)した。DV防止法も、ストーカー規制法もできた。それを背後で支えているのが、憲法24条だ。残念ながら、JCの会員や政治家たちの頭の中ではそのうような時代に合った常識が育っていない。
 今年は、日本が女性差別撤廃条約を採択して30年。それなのに相変わらず、男女の賃金格差、既婚女性の就業支援、「慰安婦」問題、民法上の不平等などが放置に近い状態なので、国連から何とかせよと勧告を受け続けている。
 少子化に歯止めをかけるためには、憲法24条に則り、婚姻最低年齢の差異、女性のみの再婚禁止期間、夫婦の姓氏の選択など、明治以来、女性差別を醸成し続けている民法をこそ変えるべきだ。逆に憲法24条を変えようなんて、時代錯誤もはなはだしい。
 国民の半分が希望を持てない日本だから、不況も長引くのだ。

 

【金曜討論】五輪と両立は無理?タレント候補の是非
田嶋陽子氏×屋山太郎氏(産経新聞 2010/05/28)

 

【金曜討論】

 「ロンドン五輪で金メダルを狙います」。谷亮子氏 (34)の次期参院選出馬会見に、「?」と思った国民もいたことだろう。これまでにもタレント候補の政策や理念を疑問視する声はあったが、この“二足のわ らじ”発言に、政治軽視と非難の声も一部で上がった。タレント議員の存在意義が改めてクローズアップされるなか、政治評論家の屋山太郎氏と、元参院議員の 田嶋陽子氏に聞いた。


《田嶋陽子氏》

■資質や政策で判断せよ

 〇専門や目標持つ人いる

 --夏の参院選に各党から有名人候補の擁立が相次いでいる

 「政治家の仕事は政策立案や法案作り、法改正に取り組むこと。いわゆるタレント候補の中にも、この世の中を変えたいと強く考えており、自分の専門分野や具体的目標がある人もいるだろう。実際に(元参院議長の)扇千景さんや民主党蓮舫参院議員など、元有名人でも実力や存在感を発揮し活躍してきた議員はいる。個人の資質や政策を個別に判断すべきで、一概に悪いとはいえない」

 --政党にとって有名人候補を擁立するメリットとは

  「テレビなどに出ている有名人なら宣伝費がかからなくてすむ。大政党の場合、かつては名簿上位になればほぼ確実に当選するし、国会で賛成反対の票数を獲得 する要員として期待できた。ただ、『この人は何をしたくて国会へ行くのか?』と思わざるをえない候補者は少なくなく、それがあまりに見え見えだと、ばかに するんじゃないとも言いたくなる」

 --今回はスポーツ界からの擁立も多い

 「柔道の谷亮子選手が、五輪も国会も両方目指すと聞いて、とても驚いた。自分の場合、参院議員になるに当たって大学の仕事を辞めたが、それでも大変だった。時間は足りず、とても二足のわらじは履けないだろう」

 --国政の場で「有名」ゆえの利点はあるか

  「私自身はタレント候補という意識はなく、自分の主張を一貫して通してきたつもりだ。もちろん参院選出馬時、テレビの討論番組に出演し始めて10年目くら いで、知名度が票にもつながったと思う。国会でありがたかったのは、女性の地位向上や民法改正といった私の関心をほかの政治家があらかじめ知ってくれてい て、官僚が問題点を整理して訪ねてくれたりした」

 〇政策実現には大政党

 --反対に、欠点や注意点は

 「有 名だからこそ、一方で邪魔をしたい人もいる。また、私自身無力感を覚えた部分でもあるが、小政党では他党と協力しないと法案を出せないし、国会での質問時 間などでも制約が多い。無所属だった時は情報が入らず、何の仕事もできなかった。政策のある人は、大政党から出馬したほうが目標を実現できるかもしれな い」

 --政治家に求められる資質は

 「日本の国会では、周到に根回しして、うまく立ち回れるような資質が非常に重要になっ ていて、政治が職業化している。でも、それは本来違うだろう。高邁(こうまい)で茫漠(ぼうばく)な『友愛』もいいけれど、世の中を変えたいという強い意 欲と、具体的な目標を持っていることが本来の姿。政治家には、一つの法案を通したら辞めるくらいの決意と清い心が必要だ」(三品貴志)

《屋山氏の部分は略》

 

  田嶋陽子  書アート個展

 ★田嶋陽子の「書」アート展

こもれる日々

      2017615日(木)~621日(水)

    ギャラリー      コンセプト21

 

         (港区北青山3-15-16              TEL03-3406-0466

 

2016年8月~予定

●ZEN展 

2016年

8月22日(月)

     ~29日(月) 

東京都美術館 

ロビー階第一展示室

東京都台東区上野公園8-36

TEL03-3823-6921

開館時間 9:00~17:30 (入館は17:00まで) 

 

●田嶋陽子書アート展

 ギャラリー花の妖精

2016年9月3日(土)

   ~ 9月11日(日) 

 

長野県軽井沢町

発地116-6 

電話0267-48-1273

田嶋陽子歌とトークショ 9/3(土)16時~

●CACA現代

      アート書展 

2016年9月13日(火)

    ~9月18日(日)

アートスペースリビーナ港区北青山3-5-25

表参道ビル4F

 

電話03-3401-2242

What's New

脳ベルshow(BSフジ)

1/20(水)22:00~

1/27(水)22:00~

 

 

田嶋陽子書アート展 & 歌

2016年

6月4日 土~7月24日 日 

笠間日動美術館 

企画展示館1階

茨城県笠間市笠間978-4 電話0296-72-2160

開館時間 9:30~17:00 (入館は16:30まで) 

休館日 月曜日

(祝日の場合は開館し、その翌日が休館)

★田嶋陽子歌とトーク 7/2(土)18時~ 

2016年

9月3日 土~9月11日 日

ギャラリー花の妖精

長野県軽井沢町発地116-6 

電話0267-48-1273)

★田嶋陽子歌とトーク 9/3(土)16時~